ハワイ歴史:元年もの

Aloha,

毎年、三月にホノルルで行われる「ホノルルフェスティバル」に
ご縁あって何回か参加しています。
中でも、ワイキキの目抜き通りを通行止めして行われるパレードは目玉のイベントです。
スタート地点が滞在ホテル目の前なのと、滞在していたホテルにパレード参加団体が多く宿泊していたので、数日前からワクワク感がいやおうなく私の中に芽生えて、いつもは仕事で見逃すパレードも時間調整をし鑑賞することが出来ました。また、パレード中はホテル駐車場の出入りができないのと、周辺道路も渋滞になるので、腹をくくってパレードを楽しむ方向にしました。
まずは、場所取りから。カラカウアアベニューのパレードは、どんなパレードも大混雑するので何時間も前から席取りしている人も多く、お昼ご飯を食べに行くついでに下見。
既に、陣取りが始まっております。ハワイの陣取りは、土地が広いからか、人柄なのか、日本のいわゆる陣取り合戦とは違って、とても快適です。
必要以上に面積をとらないし、お互いに譲り合いというのがスムーズに行われます。そんな感じなので、焦らずランチを食べて、ホテルに戻りイスを持参してくればいいか…。
甘かったのは、いうまでもなくランチを堪能しすぎたのか、道路沿いは人で埋め尽くされてきました。空いているところを探してとにかく座った場所は、放送席の横、パレードの始発点。関心のなかったパレードも放送席の横なので、事細かに進行がわかり、MCの話も面白かったです。中でも、今年は「ガンネンモノ」から150年の記念の年。「ガンネンモノ」とは、ハワイ移民の日系一世を指す造語です。明治元年に政府公認の移民第一弾。夢の島ハワイを目指してやってきたが、現実は過酷な労働条件でした。さすが、日本人、コツコツ働き、自分たちで「銀行」「ホテル」などをはじめ多くの会社を作りました。なかでも、レストラン「ジッピーズ」は、ローカルに大人気です。「アロハシャツ」「ロコモコ」など、いまではザ・ハワイといわれるものが日本人が作りました。
MCの人は、日系四世でした。放送席の前に、日系二世のおじいちゃんが孫の活躍を見ていました。一世は、お金が出来ると自分たちの食物ではなく、子供たちの教育にお金をかけたので、二世には優秀な人材が多いと、もう一人のMCの方が説明しました。確かに!
ハワイの空港の名前にもなった、ダニエル・イノウエをはじめ多くの日系二世が活躍しました。
そんなことを思いはせながら、パレードは続き驚いたのは、中国系の団体が多く参加していることでした。恐るべし。
このホノルルフェスティバルは、JTBが主軸となっているので・・・・。
パレードには、ねぶたや日本の高校生や大学のサークル。くまもんなども参加して、日本色が強いのも特徴です。なので、中国系の団体が気になって仕方がない。w
かなり長時間のパレードなので途中で退散してきましたが、なかなか見ごたえのある楽しい時間を過ごしました。
ロコに言わせると「毎週末、通行止めになるからウンザリよ!」って、言ってますけどね。
ハワイに滞在するときに、週末のパレードをチェックするのも楽しいハワイ時間を過ごす手助けになります。

ガンネンモノ」から150周年の今年ハワイではたくさんのイベントが開催予定だそうです。
日系のお話に興味がわきましたら。
「Go for Broke! ハワイ日系二世の記録」https://www.facebook.com/GoforBrokeHawaii/(2012年)に続き、松元裕之(Hiroyuki Matsugen Matsumoto)監督
をご鑑賞ください。監督は私の友人でもあり、数年前のホノルルフェスティバルでも映画が上映され、偶然再会したのも記憶に新しいです。


写真はブラジル日系移民のみなさん